劉備玄徳と塾講師と
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魏延
魏延について熱く語っている奴らがいた。

蜀に仕え様々な戦果を挙げるが、最終的に蜀に対して反旗を掲げ元部下の馬岱に切られる。

反骨の将として後世に名を残した。
では、なぜ魏延は蜀に反旗を翻したのか?

これには諸説ある。


かなりの戦果を挙げていたにも関わらず五虎将に名を連ねることができなかったことに対する不満。
名前に「魏」という文字が入ってるため重く用いられなかったことへの不満。
その不満が諸葛亮の死をきっかけに反逆へと繋がった。

また魏延は諸葛亮にあまりよく思われていなかった。それだけでなく、将来必ず魏延は裏切ると部下達に話していた。特に魏延の部下の馬岱にはよくよく気をつけるようにと釘を刺していた。


これだけで判断すると、魏延は悪者になる。

しかし、魏延擁護者の意見を聞くと面白い。

魏延は諸葛亮によく思われていないことを知っていた。
何か理由をつけて自分を殺害しようと企んでいる。
そのため魏延は戦場で失敗は許されなかった。だからこその戦果であった。
諸葛亮存命中は良かったが、諸葛亮が死ぬと判断力の足りない輩が自分を殺そうとやってくると考えた魏延は自らの保身のために反旗を翻した。

また諸葛亮の人を見る目がないという意見まで飛び出す。

劉備は馬謖の能力を評価していなかった。
しかし、諸葛亮は馬謖を高く評価していた。結果は街亭での失策。最後は馬謖は諸葛亮に処刑されてしまう。
魏延の場合は逆で、諸葛亮は評価していなかったが劉備は評価していた。


さらに魏延に同情する意見。

魏延が劉備に使えたのは黄忠と同時期。
黄忠は五虎将に抜擢されたのに対して、自分はそうではない。
依怙贔屓にも程がある。


実際はどれが正しいのかはわからない。
三国志自体も決して正史が正しいというわけではないだろうし、かと言って演義は全部本当のことというわけでもない。
魏延のことは魏延にしかわからない。
人間の心情など本人にしかわからないはずだからだ。

だからこうだと断言できることなどないのだが、一つだけ声を大にして言いたいことがある。


明らかに三国無双の魏延はやり過ぎだ。(笑)
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この記事に対するコメント
無双
ワレ‥
ローカルネタですが、魏延の異名をもつ男がかなりいじられていたきがするw
馬休の異名をもつ男に。
おもえば義兄弟のはしりは三国志だったですね☆
【2007/07/17 15:44】 URL | 武田晴信 #195Lvy4Y [ 編集]


当時は北斗も熱かったな~。
愛知のジャギがいる頃はw
【2007/07/18 03:10】 URL | 塾長 #- [ 編集]


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